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05.『再撰花洛名勝図会』「東山名所圖會序」(翻刻)

東山名所圖會序

すくよかならず、たゝなはれる山のすがた、ゆほびかに、とほしろき水のありさま、都の四方、いづくはあれど、ひむがし山にまさる所あらずなん。されば、こゝのやしろ、かしこの寺、杜よほこらよと、名どころのかぞへもつくしがたくおほかるは、神ほとけさへ、おもしろきかたに心よせて、跡たれたまへるにやあるらむかし。まして、人はいはむも更なれば、國々よりまうのぼれる男をみな、皆まづこのわたりに、立まじらむと、思はぬはなかりけり。さるまゝに、おのづから、麓の里のにぎはひも、こと所にはこよなくて、春は清水の花をめづるより、夏のゆふべの河原のすゞみ、秋はあはだのやまの月をもてあそび、冬はまがきが杜に千鳥を聞くにいたるまで、またそれのみならず、戸口にさまよふうかれ女の、袖の香を、夕かぜにうちかほらせて、人まちがほなる。市につらねしうつは物の、時につけつゝさまをかへて、今めかしくつくりなしたる。あるはわざをぎ、八道行成、さてはすまひ、弄丸、鞠、小弓のたぐひ、いづれか目をよろこばしめ、心をたのしましむる、なかだちならざらむ。かゝる所のしるべ書、いかでなくやはあるべきと、わが友津久井の翁、おもひおこして、安永のむかし、秋里某があらはした都名所図會の、繪のやうの、事そぎすぐして、しちに似ぬが、おほかるをうれへ、音羽の山の、おとに聞えたるすみがきの上手に、かき改めさせ、また事のついでなればとて、記せる文のあやまりをも、かみの園のその名たかき博士たちにかたらひて、ひきなほし、菊渓の水のいさきよく書清めたまひにけり。かゝれば今より後は、こなたに遊ばむ人の、ふるきあとをたづねむに、山しなのおくのしら雪、うづもれてしられぬもなく、めづらしき境をふまむに、まくずが原のすゑの秋かぜ、のこる恨みもなかるべしと、おもふうれしさを、かく巻のはじめにかいつけたるなりけり。そもくこの書、京のうちはさるものにて、きた山西みなみのくまぐをも、あさりつくして、さて後にこそ板にもゑらせるべきを、かくひむがし山ばかりを、今年にはかに物とられたるは、おとゞしにかあらむ。四条の橋あらたにつくらせたまひて、加茂川のながれ、よどみなくなりにしより、ふせぐ司もいとまがちになれる。
御代のめぐみを、世にはやくしらしめむの、心しらびをもかけてなりとぞ。
 安政の五とせといふとしのやよひの此、都にのぼりて、かはら町なる屋形より、ひむがし山を望みながら、筆をとれるなり。
   長州の殿人 藤原芳樹