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04.雅俗兼用の夜桜

Source: 『再撰花洛名勝図会』巻一

~祇園林夜櫻~

 四条大橋は三条大橋や五条橋とは異なり、公儀橋ではありません。ですから江戸時代のみならず、しばしば流失し、そのまま放置されることがありました。その都度、仮橋が架けられていましたが、幕末になると祇園社の氏子たちが資金を出し合い、立派な石橋が架けられました。
 洛中から川東へは三条大橋や五条橋を渡ってもよいのですが、やはり、祇園界隈へ遊楽に出掛けるには四条大橋を渡るのがなにより近道です。その四条大橋が整備されたわけですから、祇園社への参詣も気軽に行くことができるようになったのです。
 挿絵は、祇園社の北東付近に広がっている祇園林の花見の様子を描いています。祇園林の花見は右上にもあるように、なんといっても「夜櫻」で有名。「雅俗兼用して繁昌の地といふべし」という本文の記述どおり、老若男女で賑わう様子が描かれています。
 篝火や提灯に照らされ、桜の色はいや増し、そして酒宴に興じる人々の頬にも紅が差してきています。少しの酔いならば大丈夫。なぜなら、ここからは小一時間もあれば洛中に帰ることができますから、中京の商人たちが多くやってきていたのです。
 挿絵の中央付近に広がっている床几の数々は、手前左の「松五」のもの。提灯には「酒」、「御料理」とあり、松葉模様の揃いのお仕着せの女中たちが、客の接待に忙しく立ち回る様子が描かれています。絵のなかの桜樹は、一見してソメイヨシノと映るかもしれませんが、ここの桜は「彼岸桜」であること、本文には記されています。
 頼春水の妻、梅颸は安永9年(1780)の葉桜の頃にここを訪れ、桜の頃の美しさを『遊洛記』のなかで偲んでいます。

From:Yuki NISHINO