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16.嵐山の花見

Source:『諸国図会年中行事大成』巻二之上

 今日では京都を代表する観光名所のひとつとして名高い嵐山。平安時代には、春期と秋期、貴族たちが大堰川に船を浮かべ詩歌管弦に打ち興じ、天皇もしばしば行幸される土地でした。春には桜、秋には紅葉が彼らの目を楽しませたのです。ちなみに、5月に行われる「三船祭」が、当時の優雅な様子を今に伝えています。
 花の名所、紅葉の名所として知られる嵐山ですが、亀山院の後、中世末期には衰えてしまいますが、江戸時代中期に復興されたのでした。現在の桜は江戸時代に吉野山から移植された桜樹で、井原西鶴も近松門左衛門も松尾芭蕉も、「嵐山の花見」は話には聞けども目にしたことはなかったのです。
 『諸国図会年中行事大成』には観桜で賑わう嵐山を描いた挿絵が載せられています。挿絵の右下を流れるのが大堰川。川辺近くまで桜樹が咲いているのがわかります。振り袖の娘さんともなっての家族連れ、桜にも負けぬ衣装を身に纏い、春の1日を楽しんでいます。なかには酩酊した大人の姿も見え、平安時代にはなかったような賑やかさ。彼らをよそに、詩歌を嗜むものは平安貴族に負けじと、短冊にしたため、桜の枝に吊しています。
 日本美術の意匠のひとつに「花筏」があります。「花」はここ嵐山の桜で、「筏」は大堰川上流で切り出された北山杉を筏に仕立てたもので、これを下流に流す様子を表したものなのです。

From:Yuki NISHINO