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17.伏見桃山の遊宴

Source:『諸国図会 年中行事大成』巻二之上

~桃山遊宴の圖~

 江戸時代の伏見の街は、大和街道や伏見港を利用する人びとで賑わいをみせていました。また、京都市中から季候の良いこの地を訪れる文人墨客もたくさんありました。橘南谿が体調を崩した折には、この地に別宅を構え療養したといいます。
 「桃山」という地名は、江戸時代になってからのもので、元和9年(1623)に伏見城が廃城した後、付近一帯に桃樹を植えたことに由来します。気候が温暖で、果実などの栽培に適する土地だったのです。このとき植えられた桃は、弥生の京雀たちの目をおおいに楽しませたのでした。現在わたしたちが目にする伏見桃山城は、昭和になってからの遺構です。
 『諸国図会年中行事大成』に載る挿絵には春陽に誘われ遊宴に興じる様子が描かれています。なんといっても伏見は酒造の街ですから、宴に酒は付き物です。中書島あたりのきれいどころを伴っての宴席です。「花より団子」酒と料理に舌鼓を打つ者がいるかと思えば、遠眼鏡を手に風景を楽しむ者、純粋に観桃する者、と様々です。
 伏見は水運の港としても栄えていましたから、商品の流通をスムースに行うことができます。この交通の利便性と気候を利用して、桃のほかにも梅樹も多く植えられていたことが、『都林泉名勝図会』の本文に記されています。

From:Yuki NISHINO