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22.東山、慈照寺

Source:『再撰花洛名所図会』巻二

 「銀閣寺」の呼称で親しまれておりますが、正式名称は東山慈照寺、臨済宗相国寺派の名刹です。もとは天台宗浄土寺の旧址でしたが、文明14年(1482)に足利義政が東山山荘として造営したのです。『山州名跡志』には次のように記されています。

これより先、義満公北山の山荘に金閣を造らる。これに准じてここに閣を建てらる。しかれどもいまだ鉑を鏤めずして義政公薨じたまへり。鉑にあらずといへどもその趣向によって銀閣とよぶなり。
 これによると、足利義満が造営した北山山荘の金閣の趣向を取り入れて銀閣を造られたものの、完成を見ることなく義政が亡くなられたので銀箔のないままになっていることがわかります。なるほど、今日われわれが銀閣を見ても「どこが銀なのだろう?」と感じるのもこのためなのです。また、1階を潮音閣、2階を心空殿といいます。
 挿絵の左端に描かれているのが銀閣です。その右手が庫裏と玄関、客殿、東求堂と続きます。東求堂は義政の持仏道で、本尊の観世音菩薩が安置されています。
 客殿の前の白砂を敷きつめてあるところが銀砂灘。少し銀閣寄りにある盛砂が向月台。庭から眺める月をより美しくするための演出です。銀砂灘と向月台がいつ、どのような経緯で造られたものかはわかっておりません。
我が庵は月まつ山の麓にて かたぶく庭のかげをしぞ思ふ
 ただ、この和歌にもあるように、義政が庭と月との取り合わせを好んでいたのだということが知られます。

From:Yuki NISHINO