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40.有馬温泉

Source:『摂津名所図会』巻九

 有馬温泉は江戸時代には有馬郡で、現在の神戸市街の北方、山中にある有名な温泉場です。京都から十四里(56キロメートル)、大坂から九里(36キロメートル)でしたから、京坂に近い温泉というので畿内の庶民にも親しまれていました。
 この温泉は古代、舒明天皇の3年(631)9月1日に天皇行幸があり、その後も多くの天皇が行幸されたという由緒ある温泉。近世期には豊臣秀吉もここの温泉に入湯したのです。
 今日では多くの旅館がそれぞれに内湯を持っていますが、江戸時代は「一の湯」「二の湯」のみで、この二つの浴場に、二十軒あった大旅館、七十余軒あった民宿のようなものに宿泊している客がそれぞれにやってきたのでした。奥之坊・伊勢屋・角之坊・中之坊などは一の湯、兵衛・池之坊・大黒屋などは二の湯を使用しました。
 入湯するにもいろいろなランクがあり、「幕湯」というのは浴場の入口に幕を打って、当人以外の客は入湯できません。つまり、貸し切り。「追込」というのは多人数の客が入れ混みで入湯します。絵の中に風呂敷を抱えた男が描かれていますが、手に持った提灯に「兵衛」とありますから、この絵は二の湯の前の状景を描いたものだということが判ります。また、これは「幕湯」の有様です。
 有馬温泉には多くの名産がありますが、その第一は竹細工。『摂津名所図会』には、この竹細工を商う店先を描いた絵も収載されています。

From:Yuki NISHINO