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43.知恩院本堂前茶所

Source:『再撰花洛名勝図会』巻一

~知恩院本堂前茶所~

 祗園社の北側、華頂山の麓にある知恩院は、正しくはと号する、浄土宗の総本山であります。幾度かの宗門存続の危機にもあいますが、近世初期になって豊臣秀吉、徳川家康等のバックアップを得ます、ことに浄土宗徒である家康の庇護は篤く、生母伝通院の菩提を弔うために寺への援助を行ったほど。そのことが今日の知恩院の地盤を築いたのでした。
 図は本堂前、境内南側にある茶所を写したもの。現在の休憩所がこれ。江戸時代に作られたのでした。
 古来、洋の東西を問わず、栄えている寺社仏閣の類は、自然と人が集うもの。そうなると人びとが参詣した後、休息するための、また日々の情報を交換しあうコミュニケーションの場が必要となる。そこで創られたのがこういった茶所なのであります。
 右上の解説文にも「元祖大師の龕前に詣づる輩は必ずこゝに憩ふ事成」とあり、春夏秋冬、季節を問わず賑わっていたことが窺えます。なかでも正月の御忌大法会の奇観は盛況で、都じゅうの婦女子が着飾って、粉雪の舞うのもものともせずに美を競い合いました。
 図の中央の小僧を伴った二人連れ、左手前の帽子の二人、左端の二人連れや、その右の振り袖の娘さん、皆ここぞとばかりにドレスアップしております。その美の饗宴は、「さながら錦上に花をそふる如くなる」だったのでした。
  よし水の鐘ひびくなりいでわれも かすみに苔のきぬくらべせん   太田垣蓮月

From:『あけぼの』第29巻第6号(1996年12月)